About

サウンド ×
デザイン +
創意工夫

studio untrap(スタジオアントラップ)は、スタジオの名前であり、事業名でもあります。

滋賀県大津市のプロジェクトスタジオでは、レコーディングをはじめとしたサウンド&デザイン業務をおこなっています。

山奥にある当スタジオは、季節のうつろいを感じ、鳥や虫の鳴き声を聞きながら、リラックスできる空間。
‥ 要するに、ちょっとゆるい雰囲気のスタジオです。

コンビニもない不便なこの場所に来て下さる方々が、いつも景色や空間を楽しんでくださっていたこともあり‥2021年2月から、スタジオの3Fにて、雑貨店と図書スペースをはじめました。

スタッフは、サウンド担当&デザイン担当の2人だけ。15歳差の凸凹夫婦でもあります。

私達がいつも心がけているのは‥プラスアルファの「創意工夫」。
どうしたら想いをカタチにできるか、もっとみんなで楽しく過ごせるか‥そんなことを考えるのが好きなんです。

仕事のご依頼だけでなく、ちょっとした質問も雑談も、気軽にお声がけください♪

 

 

STAFF

有川 雅人 – 隊長 –
1965年生まれ・B型

「記録」したものを「整えて」「形」にする。

  • 主な経歴
  • ヒストリー

レコーディング・サウンド担当

音響やレコーディングは、なぜかコワイというイメージをもたれている方が多いですが…お客様にとって「身近な音の相談役」になれたらと思っています。

— 隊長のサウンド経験値 —
・ CD制作(シングル・ミニアルバム・アルバムのレコーディング)
・ オーディション用音源の録音(コンテスト応募用)
・ ドラマCD制作
・ 演劇舞台用BGM、効果音の制作
・ スマートフォン用サウンドデザイン
・ 出張録音(弦楽四重奏、Jazz、演歌等)
・ ナレーション・アナウンスの録音
・野外音楽イベント運営スタッフ etc.

保育園時代に、ヤマハ音楽教室に通うも数回で飽き自主退学。

音楽よりも、ダイヤブロック(レゴブロックのようなモノ)に夢中な幼少期。 音楽に興味を持ち始めたのは、小学五年生。いとこの兄の影響でギターに目覚める。

“ジャカジャカ”とアコースティックギターをかき鳴らすことに憧れ、ギター教室に通うも、当時は「ギター教室と言えばクラシックギター」の時代。

ジャカジャカとかき鳴らすことは叶わず。 とりあえず“クラシック”ギター少年になってみるも、中学生でとん挫し、ギター熱は一旦フェードアウト。(参照:「アリカワ少年とギター」)

高校入学後、音楽熱が再燃。エレキギターを弾き始めバンド活動に邁進。 ただ、残念なことに演奏能力が、それほど高くないことに、早々気づいてしまう。

変わり身の早さを活かし、自分の音楽的才能でも「音楽・音」に関われそうな、録音や音響に興味を持つも、その道には進まず、とりあえず、普通の受験生になる。

受験勉強期間中に、成り行きでコンサート音響エンジニアとしてデビュー。 それなりにオペを行うも、大トリの大学生バンドの時に事件が・・・(参照:「コンサート音響デビューは『キーン』」)

一浪の末、大学は教育系の学科へ進学し、小学校教諭を目指す。

卒業時、世の中はバブル景気へ突入前夜。 しかし、教育関係の就職は氷河期(採用数少なし)と言う状況。採用試験でとん挫し、塾教師の道へ。

塾講師時代に、同僚の先生に海外旅行(ハワイ等々)の極意を叩きこまれる。その極意とは「とりあえず、パスポートを持って、伊丹から飛べ。」

教えを忠実に守り「準備など要らぬ。思い立ったら吉日、即旅だ!」と、ハワイやアメリカに気ままに出かける。

その後、音楽スクール広報を経て、縁あって、京都のゲーム開発会社のサウンド部へ就職。

そこで、コンピューターミュージック(MIDI/Performer)や、デジタルレコーディング(SoundTools)、波形編集ソフト(Alchemy)を駆使し、ゲームのサウンドデザインを行う。デビュー作は、パズルゲームとアダルティな要素を持つ麻雀ゲーム。

その約2年後、思い立って会社を辞め、サンフランシスコのレコーディング専門学校(College for Recording Arts※現在は廃校)にいく為に、またもや “伊丹から飛べ” で渡米。

そこで、70年代のブラスロックサウンドを支えたエンジニアや、メジャーリーグの息子を持つピアニストなど、様々な音楽経歴を持つ先生から、音楽制作・レコーディングの基礎を学び帰国。

卒業時、先生から推薦状をもらう。 そこには、私の長所は「シグナルフローの理解が早い」と書かれていた。(参照:「埋もれゆく才能」) 帰国後、レコーディングスタジオへの就職を志すも、箸にも棒にも掛からず、ゲーム業界に舞い戻り、家庭用/携帯ゲーム機ソフトや、電子おもちゃの開発に携わる。

開発業務は効果音や音声収録が主だが、BGMやMEの制作にも口を挟み始め、自分では作曲などこれっぽっちも出来ないのに、偉そうに制作指示(プロデュース/ディレクション)もこなすようになる。(BGM発注の極意に関する記事はこちら)

ゲーム開発に勤しんでいる間に、山奥の陶芸工房をリフォームして、趣味のレコーディングスタジオを作る。

2010年、延べ約十数年勤務したゲーム業界から離脱。 趣味のスタジオは『studio untrap』と名前を変えて2011年11月より始動し、今に至る。

有川 瞳 – Risu –
1980年生まれ・O型

「情報」を「整えて」機能的に「視覚化」する。

  • 主な経歴
  • ヒストリー

デザイン担当 / 雑貨店店主

デザインの他、企画・制作・運営全般や、音響アシスタント、販売まで色々兼務。

— リスのデザイン・他業種 経験値 —
・ CDジャケットデザイン(シングル・アルバムのジャケット・盤面等)
・ デザイン全般(名刺/フライヤー/冊子/リーフレット/ポスター/ポロシャツ etc)
・ HPデザイン/制作/運営
・ イベント企画/制作/運営
・ ホールアナウンス/とあるおもちゃのナレーション 経験有
・ 大阪の某百貨店にて販売経験7年
・野外音楽イベント運営スタッフ etc.

幼稚園時代から、母の一存でエレクトーンを習う。弾きたい気持ちから始めたわけではなかったため、大して上達せず。

中学生で硬式テニス部に入り、テニスに熱中するあまり、エレクトーンは練習がおろそかになり、中学2年生でやめる。

高校生になって、友達とダンスをはじめ、歌を習おうと「ラブレターがカナダからやってきた」ことで有名な、平尾昌晃ミュージックスクールに通う。

東京の発表会に出たり、オーディションのデモテープもたくさん送ったが、何の進展もなく歌手の道は断念。

その頃、初めてコンサートに行き、大勢の人が熱狂するステージに圧倒される。黒服のコンサートスタッフに憧れを抱き、文化祭や体育祭での実行委員経験で得たイベントを作る楽しさも相まって、音楽系の専門学校へ進学。

イベント企画&コンサートコースに通いながら、休みの日は、コンサートスタッフのアルバイト。

学校でのイベントも、アルバイトのコンサートも、朝から夜遅くまでで体力的にキツく、気力も追いつかなくなっていたところ…

「お金がないから、2年目は難しいわ。」と父に宣告され、専門学校を中退。

大学生活を謳歌する友達を横目に、この先どうしようと悩み、自力で勉強して「簿記3級」を満点で取得。

「私、やればできるやん」と変な気力を取り戻したところで、大好きな海の仕事に就きたい!とダイビングのインストラクターを志す。

インストラクターをただ目指せるわけではなく、営業で成績を上げる必要があり、社会の闇を見る。

また、深い海に潜った時 “怖さ” を感じてしまい‥インストラクター寸前まで資格を取ったものの離脱。

その後、派遣社員に登録し、様々な職場をこなす。

最も長かったのは、ハンドバッグブランドでの販売。

当時働いていた店舗から、新人のロールプレイング大会に参加して優勝。そのまま契約社員へとなり、約5年間デパートに勤務。

生活が安定したことを機に、高校生の時に中断した歌のレッスンを再開。

とはいえ、オリジナル楽曲を作れるわけでもなく・・・圧倒的な歌唱力もなく・・・容姿もキャラも普通で、これまた鳴かず飛ばず。

実力の世界は厳しく、「歌で生きていくことは出来ない」と悟り、習うのをやめる。

休日にコンサートのお手伝いをしていた時、隊長と出会い結婚。

自宅最寄りのバス停に、朝昼夕とバスは一日5本しか無く通勤が困難になり退職。

自宅にスタジオがある環境とあって、レコーディングし放題!と思っていたら、隊長に…

「やめとき。歌をやりたいんやったら、全力で止める。」と才能否定され「ナレーションやアナウンスのほうが使える。」と、おもちゃのガイダンスや、ホールアナウンスを担当。

そして、スタジオアントラップをはじめたことで、奇しくも、コンサートの制作や現場に復帰。

また、レコーディングを担当したアーティストのCDジャケットを作る人がいなかったことがきっかけとなり、デザイン業をスタート。

その後「HPを作ってほしい」「グッズが作りたい」など、要望に応える形でどんどんデザイン業が拡大。

デザイン業とコンサート業務に携わり忙しく過ごしていた最中、2020年新型コロナウイルスによって、仕事が激減。

ピンチはチャンス!とばかりに、以前からやりたいと思っていた雑貨店を2021年オープンした。

SNS / contact

studio utnrap
リスノ雑貨店
フクロウLIBRARY